どこに戻る?

다시 처음으로

독약 같은 절망의 커피를
마시는 사람의 잔 속에 몰래 넣어주는 것.
희망이란 이런 게 아닐까 싶어.
다시 처음으로 되돌아가는 거야...
다시 처음이었던 때로 돌아가보는거지...
그때도 그랬어...여기서 끝나는 줄 알았거든...
난 정말 거기서 끝난 줄 알았거든...
이제 다음 번은 없는 줄 알았거든...
그런데 그게 끝이 아니었잖아...

- 정헌재의《완두콩》중에서 -

* 절망의 끝자락에
보석처럼 매달려 있는 것이 희망입니다.
끊긴 길 너머에 새로이 펼쳐져 있는 것이 희망입니다.
모든 것이 끝났다 싶을 때 맨 처음 자리로 돌아가
다시 발견할 수 있는 것이 희망입니다.
세상에 끝은 없습니다. もう一度、最初に。

毒薬のような絶望のコーヒーを飲んでいる人の
カップに、さり気なく入れてあげるもの。
希望は、そういうものなんじゃないかな。
もう一度、振り出しに戻る。
最初の頃に、もう一度帰ってみるのもいいかも。

あの時もそうだった。もうここで途切れると思ったんだよ。
本当に、もうここで終わると思った。
もうこの先はないと思ったんだ。
だけど、それは終わりではなかったんだよ。

チョン・ホンジェの「えんどう豆」より

絶望の端切れに、宝石のようにぶら下がっているもの。
それが希望だと思う。
途切れた道の向こうに、新しく広がっているものが希望。
全てが終わってしまったと思う時、一番最初に帰って
もう一度みつけられるもの。それが希望。
世の中に終わりはないのです。



今朝のコドウォンの朝の手紙で送られて来たもの。
恋愛関係の事を言っているのだろうか。

例えばですね、これを夫婦の関係にあてはめてみると。
10年前の私だったら、夫婦喧嘩して「もうこの人とはダメだ。やっていけない。」と思った時に、こういうメールを見たら「はっ」としたかもしれない。
そして「最初の頃」-つまり結婚当初の事を思い出し、言葉どおり「初心に戻って」、もう一度がんばってみようかな。なーんて思ったかもね。

でも今は。
このメールを読んで、「最初の頃」って事は。
時をグングン遡って、新婚の頃の甘い時期はそのまま素通りしてですね、もっともっと以前に戻るのもありかな、と思うのです。
だからそれはズバリ、自分が結婚したパートナーと恋に落ちる直前。って事になるのかな。笑

今の結婚生活をきっぱりと解消して、言葉どおりもう一度最初から自分の人生をやり直すのも充分、ありだと思うのです。
その間に自分が通ってきた道のりの足跡に責任さえ取れれば。

その頃に気持ちを戻したからとて、現実はまったく同じという訳にはもちろんいかない。
当時はいなかった子供もいるし、何よりも年をとった。
一度は家族を持った人間として、独身の頃にはなかった「肩の荷」がたくさんあるのだ。
「子供」とか、若いときにはわからなかった人間の感情の事とか、そういうものかな。
「肩の荷」というのは例え方が合っていないかもしれない。
とにかく、そういう事すべてに出来る限りの責任さえとる覚悟があれば。

別に私が今、パートナーとどうのという事では決してないのでご心配なく。
が。
ここ最近、思うことは、人生、何でもありなのだな。という事なのです。

自分を取り巻く環境を「ハンディ」だと思えばそれは自分を消極的にさせる理由にもなるし、「人生、何でもあり。」と開き直れば、自分の背中を押す原動力にもなりえる。

コドウォンの手紙では、「終わりだとおもったけれど、それは終わりじゃなかった。」って書いてあるけれど、いっそのこと、すっぱりと終わらせるのもまた、希望への道じゃないかと思うのだ。

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