言葉。
今更言う事でもないけれど、この小さな島-サイパンは、まさに人種の坩堝-るつぼはこう書くのか・・・。-である。
人種が多いから、私の回りの友達を見ても色んな組み合わせの国際カップルが。
中には、お互いの共通の言葉-ほとんどが英語-が半分も通じないように見えるカップルも幸せそうに暮らしている。
数年前まで、私はそういう人たちを見ると不思議な感じがした。
自分の考えや、思いを大好きな相手に言葉として100%伝えられないなんて、悲しくないのかなぁ、と。
でもそれはきっと浅はかな考えなのだろう、と最近になって思う。
お互い同じ屋根の下で暮らしていれば、相手の思っている事は言葉というツールを使わなくても伝わっているのだろうし、心の奥底にある本音や情というのを言葉で簡単に言い表せたら、それこそおかしいのかもしれない。
以前は、こう思っていた。
言葉がちゃんと通じていても、相手が何を考えているのかさっぱりわからん@@という事があるのに、まして言葉がしっかり通じない人と生活を共にするのは余計、訳がわからなくなりそう、と。
でも今はちょっと考えが変わった。
言葉が通じすぎるというのも考え物だな。
言葉が曖昧で、相手の言ってる事もイマイチよくわかんない、ぐらいがちょうどいいのかな、と。・・・。ぶふふ。
ま、それでも私の回りの国際結婚のカップルにも中にはやっぱり言葉の問題で行き違いがあり、誤解を解くのが大変だと言う人もいれば、私は私で夫婦でとことん話し合った時には、言葉がしっかり通じてよかったな、と思う事もあって…